東宝 ミスサイゴン

ブログトップ宣伝日誌>あの伝説のミュージカルの封印を解こう

あの伝説のミュージカルの封印を解こう

 


この一枚の写真から、「ミス・サイゴン」のすべてが始まりました。
これは、ホー・チ・ミン市空港での母と娘の別れの写真です。
少女は、アメリカにいる父親の元に旅立ち、その母は、今後二度と娘に会えないことを知っています。
母は、娘の未来のために、すべてを犠牲にしているのです。
泣きじゃくる娘を前にして、母は、何物にも変えがたい悲しみに満ちています。
この一枚の写真を元に、作者は、究極の愛のミュージカル「ミス・サイゴン」を創り上げたのです。
「ミス・サイゴン」は1989年ロンドンで超大作ミュージカルとして誕生し、日本では、1992年 508日間 745回歴史に残るロングラン公演を行いました。
そして、伝説のミュージカルとして2004年4ヶ月のロングランを行いました。「ミス・サイゴン」は、時を経て、諸外国では演出が変わりました、たとえば、ヘリコプターの飛来は、映像となりました。しかし、今回の日本公演は、オリジナル演出で行います。
オリジナル演出で行われるものとして、世界一の「ミス・サイゴン」を創り上げたいと思います。
今再び、伝説の封印を解きます。絶対泣いちゃうミュージカルです。
どうか皆様のご支援をよろしくお願い申し上げます。

飯田眞一(ハンドルネーム・宣伝のカリスマ)

カリスマ ロンドンをゆく を続きを読むからご覧ください

カリスマ ロンドンをゆく
1990年、私は、ロンドンの町で迷子になっていた。
「ミス・サイゴン」のロゴの入ったバスに乗れば、劇場に着くだろうと思ったら、まったく反対のほうに出てしまった。
思えば、ヒースロー空港で手荷物検査のとき、常備薬のことを聞かれて、「ドラック」と言って係員を仰天させ、入管室で、薬は「めでいすうん」と言うのだと教えられるような珍道中だった。
やっとの思いで、劇場に着いた、オペラを上演するような渋さをもった劇場だった。
資料用にパンフレットを10冊ぐらい買った。中年の英国紳士に肩をたたかれた。「売ってくれ」と言う。どうも売り子に間違えられたらしい。
ヘリの轟音とともに、幕が開いた、言葉のわからない僕は、音楽に身をゆだねていた、虜になった。そして、人生で初めての経験をした、劇場の観客が、いっせいに涙するのだ。私ももちろん泣いている。強い衝撃波のように劇場が泣く瞬間をはじめて知った。
日本に帰って、当時の演劇担当専務にどうだったと聞かれた。僕は、そのすばらしさを伝えた。勝負できるかねと聞かれて、6ヶ月ぐらいのロングランならいけると答えた。すると、そうかじゃ君が宣伝担当をやりなさい。期間は、一年半だよ。私は椅子から転がり落ちた。
そして、僕と「ミス・サイゴン」の長い付き合いが始まった。

トラックバック

※記事に対するトラックバックは、審査したものを掲載しています。
そのため、コメント掲載の判断は、東宝演劇部宣伝室に一任願います。

このエントリーのトラックバックURL:
http://saigon.toho-stageblog.com/mt/mt-tb.cgi/189

コメント

初演の時は病院から戻ってきてのことでした。今回は新たな人生に船出する意味で再々演を楽しみにしております。かけがえのない人生を誰のために使うべきか、この問題に一つの答えを示してくれた作品に感謝します。

 宣伝のカリスマ 様
題名についての説明、ありがとうございました。 言われてみたら、そんな感じがします。
また、続きのお話を楽しみにしています。

TOMOさんへ
コメントありがとうございます。ベトナムの首都ホー・チ・ミン市は、ベトナム戦争当時、サイゴン市と呼ばれてました。
序幕は、エンジニアのキャバレー・ドリームランドのミス・サイゴンを選ぶ賭けのシーンから始まります。
題名の意味は、僕の私見ですが、Mrs.になれなかったMiss Saigonの悲しいお話ととらえてます。

今回の「カリスマ ロンドンをゆく」 で、初演までの経緯を少し知ることができました。
初演当時、私は高校生で人間関係など細かいところが難しかったです。 再演で改めてすばらしさが分かりました。 
今でも疑問というか、よく分らないのは題名の意味です。(または、何を指しているのか・・・)   いつか解説をお願い致します。

コメントを投稿

※記事に対するコメントは、審査したものを掲載しています。
そのため、コメント掲載の判断は、東宝演劇部宣伝室に一任願います。