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カリスマのオーディション狂想曲 後編

第二次オーディションに絞り込まれたのは、約1000名だった。
そして、アメリカからキャスティング・ディレクターのビンセント・リフ氏とオーケストレーションのマーチン・コッシュ氏が来日した。
日本側でさらに絞った。700名の人が第二次オーデションに望んだ。
オーデションは、試験ではない。その役に合った人か、その役を歌えるかを判断する作業である。
僕たちは、二人の驚くべき集中力に驚かされる。

そして、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュ、アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルグ、音楽監督のデビット・キャディック、振付のボブ・エイビアン、というクリエイティブ・スタッフが来日し、最終オーディションが行われた。



キャスティング・ディレクターのビンセント・リフ氏とマーチン・コッシュ氏による第二次オーディションが行われた。
たとえば、キム役の課題曲は「命をあげよう」である。
事前に譜面が送付し、個人で稽古してもらって、時間を分単位で区切って、都内のスタジオに来てもらった。二人のオーディションは、入社試験などのようなものとはまったく違った。
笑顔で「今日は来てくれて本当にありがとう」と伝え、リラックスして、「あなたの歌を聞かせてもらえますか」とお願いするのである。
その間ビンセント・リフ氏は小さな字で細やかにメモを取る。
どんな髪型で、どんな服を着ていて、顔の特徴、声の質等々一心にメモを取る。
緊張のあまり、音をはずしてしまう応募者には、「ちょっと、緊張しちゃったね、もう一度歌ってもらえますか」と丁寧に応じる。
そして、「本当に素晴らしかった。ありがとう」と笑顔で送り出す。
数十人の単位で歌を聞いた後、リフ氏とコッシュ氏と日本側スタッフによる審査があるのだが、ここで二人の集中力の凄さがわかる。
「この人とこの人は、キム役は無理だが、アンサンブルなら可能性がある」といい、そして日本側に確認をする。
「赤いベストを着て、髪がショートの人ですね。ヒート・イズ・オンを聞いてみたいので楽譜を渡して、3日後に来てもらってください」 
いわゆるコール・バックというものだ。
キム役に関しては、数度のコール・バックが行われた。
キム役は「サン・アンドー・ムーン」「ラスト・ナイト・オブ・ザ・ワールド」「アイ・スティル・ビリーブ」などの譜面を次々と渡され「今日は、きれいにお化粧をしてきれいな服で来てもらったが、次は、Tシャツとジャージですっぴんで来て下さい」といわれる。
この過酷なコールバックによって出演者はだんだん絞られていった。ここから先は、機密保持のため僕の立ち入りも禁止された。最終オーデションは、プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュ、作家のアラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルグ、演出のニコラス・ハイトナー、振付のボブ・エイビアンそうそうたるクリエイターたちの厳しい目で行われた。そして、オリジナルキャスト58名が決まった。その間、僕たちは、製作発表の準備に追われていた。当時の担当重役から「お前は、『ミス・サイゴン』を上演するために生まれてきたと思ってやれ」といわれた。出演者全員のプロフィール、新しいチラシ、進行方法、そして、相変わらず、ヘリコプターマークをハサミで切り抜き、ケント紙の台紙に貼り付けていた。宣伝コピーは、「究極の愛」に決まった。そして、都内で製作発表、キャスト全員が一名づつビンセント・リフ氏にコールされ、会場のひな壇に上がった。65名のキャストが決まった。内に、きらりと光るものを持った宝石の原石だ。それから、ミス・サイゴンスクール、そして、稽古で磨き上げていくこととなる。そして、そこでもう一人「ミス・サイゴン」を日本で上演するために生まれてきた思える女性に僕は出会った。

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コメント

93年の初演以来、ずっと心の中にあるミュージカルです。当時のレベルの高さ、訴える力の強さは、こうした中から生まれたんですね。『ミス・サイゴンを日本で上演するために生まれてきた思える女性』の続き、楽しみにしています。

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