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日本初演に向けて ミス・サイゴンスクール開校 

1991年2月4日 東京會舘 ローズルームにて、全役発表の記者会見が行われた。
キャスティング・ディレクター ビンセント・リフ氏により名前がコールされ、キャストはひな壇に登った。
キャストは決まった。しかし、まだ「ミス・サイゴン」の原石である。
これから、サイゴン・スクールに参加し、約一年をかけて、磨き上げられてゆく。
単なるノスタルジーかもしれない。しかし、あの熱い日々を誰かが、書き残さねばと思いブログ書いている。
誰もが、志を高くし「ミス・サイゴン」日本初演を目指した日々を
飯田眞一(宣伝のカリスマ)

ミス・サイゴンスクールが帝劇の地下六階稽古場(帝劇は、地下六階まであるんですよ。稽古場の通り名はB6、B4、9階と三箇所あります。) 
1991年5月、「ミス・サイゴン」スクールが開校した。
スクールの目的は、技術を向上はもちろんのこと、これから続く上演終了までの団結を生むためである。様々なカリキュラムが組まれた。エアロビ、ジャズダンス、身体表現、発声、もう一度自分の基礎に戻って一から作り出していこうというコンセプトだ。エアロビぐらい僕にもできるだろうとやってみたが、とんでもない5分で、息が上がった。10分で体のあちこちが悲鳴を上げた。15分でリタイアした。「今日は軽く30分で終わります」という先生の声に、みな出演者たちは、「いい汗かいたね」とみんな笑顔である。情けない話だが、ヘトヘトなのは僕だけだった。声楽もビリー先生指導の下、みっちりと行われた。特に「ミス・サイゴン」の楽曲は、難曲ぞろいだ、高いキーを地声で出さねばならない。作曲家のクロード・ミッシェル シェーンベルグ氏は、キーを下げることなく、原音で歌うこと要求した。よほど強い声帯を持っている人でないと勤まらない。これは、一夜限りのライブではない。週10回の一年半に及ぶ公演なのだ。岩谷時子先生が一音一音符の限られた条件の中で美しい日本語の歌詞をつけてくれた。「レ・ミゼ」もそうだがクリエイターの二人により、一音符に一音という制限がつけられた、子音中心の日本語を母音中心の英語に当てはめるのは大変難しい。歌のレッスンが続いた。スクールではじめて、「サン&ムーン」のデュエットを聞いたときはそれだけで涙が出てきた。「お日様と月」キムとクリスの出会いのラブソングだが、二人の未来を暗示している太陽と月は、同時に天空には存在しない。そして、アラン・ブーブリル氏とクロード・ミッシェル シェーンベルグ氏が一時来日し特別授業が行われた。そして、具体的なアドバイスが伝えられた。「自分が歌い始める前からその歌を歌っていてほしい」。「世界が終わる夜のように」では、キムとクリスに、二人は火山の噴火口の上にいるお互いに支えあわなければ落ちてしまう、そういう気持ちで歌ってほしい。キムは「命をあげよう」、クリスは「神よ何故」で、肺の中の空気を全部出し切るロングボイスが要求された、「COME ON! COME ON! COME ON!」シェーベルグ氏の魂に語りかけるような声に引っ張られ、声は伸びていった。
できたというキム役の驚いた顔に、「GOOD!」と優しくシェーンベルグ氏は微笑んだ。
宝石たちは、確実に輝きを放ち始めた。 

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コメント

飯田さん、おはようございます!!!初演のサイゴンスクール、みなさん、若いし今も変わらない人もいた!初演の頃は、私は中学生で、ミュージカルは興味なかったです!!!14歳になって、ミュージカル好きになりました!!!楽しみです!!

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